人気ブログランキング | 話題のタグを見る
二つ目時代(二)
  己が身を蔑み責めて切れ目なき自縄自縛の悪しき酒呑む

 弟弟子に本牧亭講談奨励賞を先獲りされてしまった頃、新劇の若手女優たちが(ある者は個人的ツテで、ある者は演出家に連れられて)芝居の勉強のためにと、師匠の元へ講談を習いにやってくるようになりました。
 要するに素人弟子ですから(わたしは師匠からそう聞かされていました)ここまでは何の問題もありません。
 ところがそのうちに彼女たちは講談を演じる女優としてマスコミにとりあげられるようになり、いつのまにか本職の講釈師を名乗るようになってしまったのです。
これには驚きました。
 話が微妙に食い違ってきています。
 しかしそれならばそれでこちらも今までのように彼女たちをお客さま扱いして遠慮することはやめにして、きちんと楽屋の基礎から教え、本職の芸人として仕込まなければなりません。
 それが彼女たちのすぐ上の兄弟子としてのわたしのつとめになります。
 が、その当時の彼女たちはあくまでも女優としての仕事を優先させておりましたから(その日の最後まで前座として残らずに、女優業のために途中で帰ってしまうこともありました)楽屋仕事も心ここにあらずといった状態で、わたしとしても兄妹弟子としての連帯感は生まれずに、どう接してよいのかがわかりません。
 こんな彼女たちの存在が許されたのは女流講釈師の育成をライフワークとする師匠の厚い庇護があったからです。
 師二代目神田山陽は大手出版取次業の若旦那として生まれ、最初は講釈場の定連で、講談界最大のお旦(スポンサー)でありましたが、そんな師匠が病膏肓本職の講釈師となってしまったために、特例として前座修業は免除されました。
 ですから師匠は己の体験もあることですし、当然つまなければならない本格的な前座修業を、彼女たちがつんでいないことには無頓着だったのです。
 前座という肩書きをつけて、すこしばかりの前座仕事を経験させただけで満足してしまったのです。
 しかしそんな楽屋事情はどこ吹く風。
 彼女たちは世の認知を受けて女流講釈師として市民権を得、その後の釈界(講談界)の流れを大きく変えてしまうことになりますが、とにもかくにも「本牧亭講談奨励賞事件」とあわせて、この「女流講釈師の誕生」が、わたしの人生を大いに狂わせる因(もと)になりました。
 伝統の世界に闖入してきた異端者たちが脚光を浴びてしまった、いわば庇を貸して母屋をとられてしまったようなものですから、わたしは面白いわけはありません。
後輩たちがわたしを追い抜き、そして売れていきます。
 わたしは大いに妬み、怨み、酒に溺れ、不始末を重ね、破門寸前、再起不能とまでいわれるようになりましたが、「断酒せよ」という師匠の命令のもとに実家へ強制送還されたわたしは、このままでは死ねない。もう一度勝負してやろうと思いました。
『ぼくも一緒にいってあげるから、二人で山陽先生のところにわびにいこうよ』
『兄(あん)ちゃん、世の中は敵ばかりじゃないんだぞ』
『僻むだけ僻んだら、そのあとは自分の体験を喋りまくれ』
 と励ましてくれた先輩の落語家さんたちの厚情に報いるために、また面識を得ることができた作家の結城昌治先生の作品をもう一度高座にかけるためにも、わたしは何としても酒をやめなければなりません。
 わたしは世の中に対する煮えたぎる復讐心を断酒エネルギーに転化して酒を断ち、十三か月後に復帰が許されました。
 その後わたしは入門以来十三年目で真打に昇進しましたが、思えば二つ目時代は悪夢のような十年でした。

(時系列に従った自伝は今回が最終回。次回からは俳句と短歌の発表が主となります)
by aizan49222 | 2012-08-28 10:33 | 愛山自伝・俳句と短歌


<< 9~10月スケジュール 残暑お見舞い申しあげます >>