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二つ目時代(一)

  梅が香におくられきたる前座明け

 昭和五十二年二月。湯島天神では梅祭りが開かれておりました。 この日上野本牧亭昼席の一門会に楽屋入りした師匠は、コートを受け取ったわたしに向かって「君を五月から二つ目にするから、そのつもりで支度をしたまえ」と笑顔でいってくれました。
 客観的状況からみて、そろそろオレにも二つ目の声がかかるかなとは思っておりましたが、入門以来三年三か月の二つ目昇進は、まずは順風満帆な船出といえましょう。
 二つ目になるということは、前座とは違い、楽屋での自由行動が許され、半人前とはいいながらも、芸人として認められたということですから、こんなに嬉しいことはありません。体が震えました。
 しかし喜びもつかの間、これから三か月の間に挨拶用の名入りの手ぬぐいと黒紋付きの支度をしなければなりません(講釈師も落語家も二つ目になってはじめて紋付き、羽織、袴の着用が許されます)。
 手ぬぐいは寄席文字の橘右龍さんに一切合切をまかせましたが、問題は黒紋付きです。
 手ぬぐいを作るだけで精一杯で、とても黒紋付きをあつらえるまでの予算は捻出できません。
 そこで窮余の一策、わたしは高校時代からの友人Cに相談しました。
 彼は静岡で社会人を経験したあと、東京の大学へ入りましたが、大変に世話好きな男で、『何とかしよう』といってくれ、東京で暮らしている友人たちに声をかけて、祝儀を集めてくれたのです。
 わたしはその祝儀を受け取ると有楽町の古着屋へ行って、化繊ではありますが、わたしの家の紋が入った黒紋付きを購入することができました。
 このときの黒紋付きは今でも高座で着用していますが、袖を通すたびに二つ目昇進時の一連の出来事と、友人たちの顔を思い出します。

  一門の弟弟子に敗れたり六畳一間冬の壁蹴る

 本業以外に観光バスに乗車しての名所旧跡案内の仕事の他に、結婚披露宴とキャバレーの司会が、わたしの営業品目に加わりましたが、二つ目に昇進して数年後、わたしは、その一年を通して努力精進のあとが顕著であった若手講釈師におくられる本牧亭講談奨励賞を、弟弟子に先に獲られてしまいました。
 このときの悔しさといったらありませんでした。
 まさに天を呪い、地を恨みました。
 これが他の一門の後輩ならば、政治的配慮ということで、まだ我慢もできますが、一門の弟弟子に賞を先獲りされてしまったのです。
 わたしはうぬぼれなどではなく、今でもあのときのオレは芸といい、ネタ数といい、けっして弟弟子に負けてはいなかったと思っていますが、このときの落選が大きな心の傷となり、わたしは翌年この賞を受賞しましたが、喜びなどはありませんでした。
 それどころか神経を逆なでされてしまったような強い屈辱感を覚えたものです。

 ……わたしの二つ目昇進は、すこしも順風満帆ではありませんでした。
by aizan49222 | 2012-08-07 16:56 | 愛山自伝・俳句と短歌


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