あまりにも生々しくてリアルタイムには見ることができなかった被災地の映像を(その頃のわたしはケーブルテレビでドリフターズのコントばかりを見ていました)大震災から一年経った特集番組で見てみましたが、やはり鬱気分におちいってしまうことは否めません(脳内被災)。
わたしにはすべてのメディアが「他局、他社よりいかに脅しているか」を競い合って視聴率をかせぎ、発行部数を伸ばしているとしか思えないのです(こうした感想しか抱けないというのは、わたし自身の思考回路に問題があるのかもしれませんが)。
もちろん有識者たちの客観的な意見や災害データの提示に被災者たちの貴重な体験談もありますが、それらのものさえ国民を「脅すための小道具」にしかつかわれていないと、わたしの目には映ってしまうのです(怪談噺の演じ方と似たところがあります)。
またあの日のことを忘れてはいけないと口を揃えていいますが、そんなことはいわれるまでもなく、忘れようにも忘れられないのが、あの大震災ではないですか!
しかし忘れようにも忘れられない大震災であればこそ、たとえ神経症を患おうと(神経症とは自分がいちばん怖れるものを抑圧して逃避し続ける病気ではないかと思っています)あの大震災を忘れたふりをしなければ生きていけない人たちもいらっしゃるはずなのです(わたしがドリフターズのコントを見続けていたように)。
ですから神経症とは健常と錯乱の間で揺れ動く人たちが生存し、人間としての尊厳を守るために罹病せざるを得ない必要悪的な病なのかもしれません。
とにもかくにもわたしは一年前は「もう講談を演じることはできないのではないか」とあきらめておりましたから、一年後の今は講釈師として一度は捨てた命を拾ったような気分でおります。
「神田愛山独演会」3/30(金)19:00
・らくごカフェ(地下鉄神保町駅A6出口・神保町交差点岩波ブックセンター隣古書センタービル5F…ビル裏口エレベーターよりお乗りください 5F降りて左・千代田区神田神保町2ー3)
・2000円(ブログプリント持参割引有り)
・愛山演題「清水次郎長伝(七)小政の生い立ち」他新作一席