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清水の頃・高校時代

  高校の学生服は身に重く鬱なる心閉ぢ込めてをり

 高校へは行きたくありませんでした。
 本当に行きたくなかった!
 とにかくわたしは芸人になりたかったのです。
 しかし具体的にどのジャンルに進むのかがみえてきません。
 一人話芸に憧れていることだけは間違いありませんが、漫談家か、落語家か、それとも講釈師か……。それがわかりません。
 悩みに悩みました。
 朝は一応学校に行くふりをしますが、すぐに戻ってきて、社宅の物置に隠れてしまいます。小学校のときと同じ登校拒否です。自分で自分の不決断に嫌気がさしました。
 わたしが登校しないものですから、担任教諭から父親の職場に連絡がいき、わたしの不登校はバレてしまいましたが、自分が成すべきことは学校に行くことではなく、芸の道に進むことなのだという思いが強迫観念となり、そのことを成していない自分に激しい劣等感を抱きました。日々、自分を責め立てます。
 東京ぼん太先生の歌を口ずさみ(わたしはこの先生の歌はすべて歌えます。しかし歌えるカラオケがありません……どこかにあるのかな?)学校の図書室で東京新聞の寄席情報欄を見るのが唯一の慰めで、まったく鬱々とした三年間でした。親友はできましたが、すこしも楽しい高校生活ではありませんでした。
 わたしは寄席の全盛期は昭和三十年代だと思っておりますが、その三十年代末から昭和四十年代前半にかけて入門した(つまりわたしが小学校から中学の頃) 先輩たちと楽屋を共にいたしますと、往時を振り返り、今でも忸怩たる思いに囚われてしまいます。
 しかしその時代に学校をサボってまでもテレビやラジオの演芸番組を観て、聴き続けてきたことが、今のわたしの貴重な芸の肥やしになっていると思っています。まさに不幸中の幸いです。
 そのうちにクレージーキャッツの映画も製作されなくなり、ぼん太先生のレギュラー番組もテレビから消えました。
 わたしは思いきってぼん太先生に弟子入り志願の手紙を書きましたが、丁重な断りの返事をいただき、後にわたしの師匠になる二代目神田山陽からは入門OKの返事をもらいましたが、わたしはどうしても決断することができませんでした。
by aizan49222 | 2011-05-06 17:29 | 愛山自伝・俳句と短歌


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