ケーブルテレビAXNミステリーで放送中の「名探偵モンク」の主人公エイドリアン・モンクはわたしと同じ強迫神経症に冒されており、サンフランシスコが舞台のコメディミステリーですが、シリーズⅡ16話「ぶっ飛びモンク」では、科学物質が脳の中に入るのは堪えられないと、強硬に薬を飲むことを拒否していたモンクが、とうとう新薬を飲むことになりました。
そのくらいにモンクの病状は悪くなっていたのです。
「(薬を飲んで)変わるのは怖い。でも変わらないのも怖い」
というモンクの悩みは、まさにわたしの悩みでもあります。
で、新薬を飲んだモンクは今までとは正反対、何事をも恐れぬ豪快な男になりました。
本人も「今までの中でいちばん頭がスッキリしている」といいます。
しかしその代償として犯行現場で些細な手がかりを見逃さない強迫神経症の彼ならばこそ発揮できた名探偵としての能力が萎え、モンクがモンクであってモンクでなくなってしまいました。
わたしの目から見ても、モンクにまったく魅力がなくなり、こんな男とは口もききたくないと思ったほどです。
強迫神経症者に限らず、どんな性格になろうと、それはそれで欠点があるということを、わたしは今さらのように痛感しました。
モンクの秘書も友人たちも心配して、モンクの主治医に話し、その新薬の服用をやめさせました。
そしてモンクがまた強迫神経症に責め立てられる元の名探偵にもどりますと、一同は喜び、モンクの元上司は「お帰り」とさえいったのです。
彼らはモンクの強迫神経症に悩まされながらも、モンクの病気を受け入れてくれているのです。
大体が神経症は肉体的な病とは違って健常者の理解をなかなか得られませんが、それは傍で見るよりも、とても辛い病気なのです。
しかしもはや強迫神経症がモンクの人格の一部となってしまっていて、彼のまわりの人たちは、そんなモンクを愛しているのです。
人は誰しもが、心配事を抱えて生きているわけですから、完全に心配事がなくなるわけはなく、その意味で強迫神経症の完治は不可能だと、わたしは思います。心配事がまったくない人生など、わたしには考えられないからです。
ただ強迫神経症者の場合は、神経に侵入してくる心配事のウイルスチェックが、あまりにも過敏であるのでしょう。
強迫神経症者は強迫神経症を抱えて生きていく以外にはないと思いますが、とにかくわたしも「名探偵モンク」のように強迫神経症をコメディ仕立てにした講談を創ってみたい。それが来年の課題になるかもしれません。モンクに感謝!