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清水の頃・中学時代(一)
 自宅である父親の会社の社宅の二階から中学校は見えました。学校などは家から近ければ、ただそれだけでよいのです。
 しかし中学校は小学校よりも、さらに広い地域から生徒が集まってきます。わたしは中学生になることがとても憂鬱でした。わたしはとにかく人間関係を構築することが苦手なのです。
 中学一年のときのことは、あまり記憶に残っていません。毎日の暮らしが無味乾燥としていたからかもしれません。わたしは集団の中に身をおいても、すこしも楽しくはありません。

 担任は数学の男の先生でしたが、ヘビースモーカーで、自分でもよほど懲りていたらしく「あんたっち(これが口癖)が大人になってタバコを吸っていたら、そのときは先生がとりあげる。そのくらいにタバコは体に悪いんだよ」といったことを覚えています。
 また「五輪の旗の色は青木組合(アオ・キ・クロ・ミドリ・アカ)と暗記しなさい」ともいっていました。そんなものを暗記しても仕方がないと、そのときは思いましたが、後年オリンピックが近づきますと、必ずそのことを思い出すのも妙な話です。

 二年のときのN先生はユニークな人でした。国語と体育の色の黒い細身の女の先生でしたが、毒舌とユーモアがまじった授業はとても面白く、独自の教育方針をおもちのようで、教室にもみなぎるような活気があふれていて団結力があり、わたしはこの先生が大好きでした。相性が合ったのです。学生時代で一番楽しかった一年であったかもしれません。

 Aという親友もできました。この男にわたしは小学校の頃にイチャモンをつけられて殴られたことがあるのですが、それが親友になってしまったというのも合縁奇縁なのでしょうか。彼とは何度か一緒に映画を観にいきました。もちろんクレージーキャッツです!

 ……そのAと土曜日の放課後遅くまで教室で遊んでいて、何かの悪さをして、校内を見まわっていた男の先生に見つかり、職員室前の廊下に正座をさせられたことがありました。
状況説明を求める先生に、Aは明らかな嘘をついています。
 その嘘がとおれば、わたしたちは無罪放免となり、わたしも同じ嘘をついたほうがいいとは思ったのですが、わたしは嘘をつくことができずに、逆に嘘をつかないほうが許してもらえると判断して、心の中でAにわびながら、わたしは正直に話しました。が、結局は許してもらえませんでした。

 嘘も方便といって、お釈迦様さえ許してくださっている自分の身を守るために必要な嘘を、わたしはどうしてもつくことができないのです。これは嘘をついてはいけないという道徳的な問題とは根本的に違います。嘘をつかないのではなく、嘘がつけないのです。他者への依存傾向が強くて、自我が弱いからなのでしょう……。

 入部したかった文芸部が有名無実の存在でありましたので、部活は野球に卓球に柔道部を転々としました。が、どれも長続きはしませんでした。運動神経はまるでダメであっても、少年はスポーツ選手に憧れるもので、当時のわたしもその例にもれなかったのです。


  初蝉や肩をいからし網の先


 この句は中学二年コースという雑誌に投稿したもので特選に選ばれました。選者は中村草田男さんで、その後わたしの俳句は中学生向けの新聞等でも何度か入選しました。学校の図書館で山中峯太郎さんが訳したコナンドイルの名探偵ホームズを借りまくり、星新一さんのショートショートを次から次へと読破したのもこの頃です(気に入った星さんの作品は弟に読んで聞かせました。落語も聴かせたことがあります)。
by aizan49222 | 2010-11-05 10:56 | 愛山自伝・俳句と短歌


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