このブログの「愛山自伝・俳句と短歌」に連載しているとおりに、わたしは栃木県佐野市の生まれですが、夏になりますと6年前から同じ両毛線沿線の桐生のお寺で開かれている怪談会に出演するようになり、その翌日に佐野の友人を訪れることが恒例になってしまいました。
先日も11時前に電車を降りて、佐野駅裏にある城山公園の屋根付ベンチに座り、吉村昭の本を手にしました。相変わらずの酷暑です。
と、わたしの視界の先に、叱られてぐずり、コンクリートの道に座りこんで泣きじゃくっている女の子を尻目に、そのままさっさとその場を離れてしまった母親がおりました。
わたしは子供の躾のために、あえて泣かせて一人にさせているのだなと思い、頃合いをみて子供のところに戻ってくるだろうと、本を読み始めました。
が、このときに山を下りてきて、その母親とすれ違った中年男性が、
「ちょっとあんた!こんなところに子供を置き去りにして、一体何を考えてるんだ!
このままじゃ子供が死んじゃうよ!このコンクリートは50度はあるんだよ!あんた子供を殺す気か!
あんたおかしいよ!」
と母親を激しく叱責しました。
わたしも、その母親も、肌が焼けただれるような強い直射日光と、コンクリートの温度をウッカリしていたのです。
たしかにそのままにしていたら、その女の子は熱中症にやられてしまうことは確実で、まことに的を得た男性の指摘であります。わたしは赤面しました。
しかし母親はその男性に礼をいうわけでもなく、不承不承に女の子を自転車に乗せて
「あんたが悪いからよ!」と、子供を責めつつ、公園を去りました。
わたしはこの母娘関係は先々うまくいかないなと直感的に思いました。
それは何よりも「あんたこの子を殺す気か!」といった男性の声が、あの女の子の無意識に意識され、生涯母親を敵視すると想像されるからです。
女の子にとり、この日の出来事は、いつも母親に叱られている日常とは、明らかに違うはずです。
親子関係というのは、こうしたことからひびが入り、歪んでくるのかもしれません。