人間がオギャーと生まれるということは、すでにさまざまな遺伝子を組み合わされているということであり、これは当然もって生まれたものですから、つまり人間は生まれながらにして半分は自分の力では変えられない宿命を背負わされているということになります。
それでは残り2分の1が自己責任になるかというと、それもとんでもない話で、ここにどういう風に親に育てられたかという躾、生い立ちの問題がからんできますから、さらに2分1は、自分の力ではどうしょうもありません。
そうすると生きていくための自己責任は4分の1。野球の打率でいえば2割5分。1試合に1本のヒット狙いでいけということになり、たしかにこのくらいならばできそうですし、またこのくらいの目標がないと試合に出ても(生きていても)励みになりませんし、面白くもないでしょう。
これが「人生、2割5分の自己責任説」由来の一席となります。
……さ、つまらない能書きをこいたあとは、市民プールへ行ってきます。