とにかく生真面目で几帳面(だから学級委員などもやらされてしまったのです)。団体行動が苦手な子供で、遠足などは大嫌いでした。
ドッヂボールをやった記憶はありますが、小学校の休み時間には、数少ない友人の一人のM君と、ほとんど相撲をとって遊んでいました(相撲と将棋好きは、明らかに父親の影響です)。
贔屓の力士は、まず明武谷。それから琴ヶ浜、青ノ里。それぞれつり出し、内がけ、小手投げという得意技があり、天下の人気者ではありませんが、玄人好みの、それこそいぶし銀のような存在に、わたしはその頃から強く惹かれる傾向があったようです。
NHKテレビの相撲中継もよく見ましたが、わたしは実況の北出清五郎アナウンサーの大ファンで、あの穏やかな、日本語を充分に咀嚼している大人の喋りに、何ともいえない安らぎを覚えたものです。
そしてテレビといえば何といっても「シャボン玉ホリデー」です。バラエティーの草分
けです。クレージーキャッツです!
クレージーキャッツの面白さといったらありませんでした。
寄席演芸とは、また異なる魅力。
わたしが住んでいた静岡では、たしか金曜日の夜の放送だったと思いますが、この時間帯が待ち遠しくてたまりません。内因性の鬱があるのか。その頃から悶々としていたわたしに、クレージーキャッツが精神的な主治医になってくれました。彼らの音楽コントを見ていれば、わたしはご機嫌でありました。
(植木等さんの訃報に接した日に詠める歌三首)
少年の心ときめく銀幕のクレージーキャッツ残像哀れ
芸人になりたき夢をはぐくみし植木等の歌声に泣く
ボケ、ツッコミ、ナンセンス、クレージーキャッツ白のスーツよ