転校生クラス会にて演じたる落語台本父が書きしも
わたしが人前で初めて落語を演じたのは、まだ小学三年のときでした。どうしてそういう成り行きになったのか、また自薦か、他薦かも、まるで覚えてはいませんが、とにかくクラス会で、わたしが落語を演るという意思表示をして、そして演ることが許されたのです。
しかしそうかといって、わたしが転校生としてクラスメートからのいじめを受け、自分の立場を守るために、いわば彼らに媚を売るために、落語を演ろうとしたわけではありません。むしろその逆で転校生のわたしはクラスメートに好意的に受け入れられ、その結果がクラス会での落語につながったのだと思います。
佐野で「お笑いタッグマッチ」を観てから一、二年後に、わたしはいきなり落語を演じたいと思い、また演じたわけで、この間の記憶がこれまたまるで残ってはおりません。
恐らくはラジオから流れてくる演芸番組を聴かされて、子供心にも大きな関心をもったのだと思います。
「演芸番組さえ聴かせておけばおとなしくしていた」
という母親の証言もあるくらいですから……。
また佐野のクラスメートを前に転校の挨拶をしたときに(不安な心を隠す裏返しの意識から)わざとおどけたポーズをしてみせて、それが思いもかけぬほど受けてしまい、そのめくるめく感覚が忘れられないでいたのかもしれません。
(今思い出しましたが、やはり佐野にいた頃、まだ転校が決まる前の話ですが、学芸会のお遊戯でみんなの前に立ったときにも、この感覚はありました。ひょっとするとこのときに味わった全身を突き抜ける快感衝動が……でも注目を浴びることは、とても恥ずかしいのですが……無意識のうちにわたしの自我に根を張ったのかもしれません)
とにもかくにもこのときに演じたのは「時そば」でしたが、その台本を書いてくれたのは父親でした。新聞の折り込み広告をハサミで切って裏返しにして綴じたものに鉛筆で書いてくれました。
父親の字は大きく筆圧も強く、わたしも今父親と同じ字を書きます。「時そば」をやりたいと、わたしが父親にリクエストをして、父親が台本を書いてくれたのです。
しかし父親もよく落語の台本を書けたものだと思います。よほどラジオで落語を聴きこんでいたに違いありません。やはりわたしは父親の影響で落語が好きになったのでしょう。
ただ小学時代には、父親が落語好きであったという印象は、わたしにはありません。それどころか高学年になるにつれて、演芸番組にどっぷりと浸かっていくわたしを、父親は好ましく思ってはいないようでした。そのことだけは身にひしひしと感じていました。わたしの芸人志望を、父親はすでに見抜いてしまったのかもしれません。
芸人になりたい。
わたしの人生は小学三年で、すでに決まってしまいました。