わたしが猫と親しく接するようになりましたのは二十年ほど前、その頃はさかんに結婚披露宴の司会をつとめておりましたが、引き出物でもらいました鰹節がだいぶたまり、その処理のために、鰹節をアパートの縁側に出しておいて、庭を横切る野良猫たちに食べてもらったことがきっかけですが、その後わたしは猫を題材にした新作講談を創るほどに(「野良猫」「ベラ」)猫に大きな関心をもつようになりました。
今のわたしは週に二日ほど散歩がてらに三十分ほど歩き、大型ホームセンター内にあるペットショップの猫を見ることを楽しみにしております。
わたしは野良猫がいちばん好きですから、ペットショップにいる猫たちの血統がドウタラ、コウタラという難しいことはまるでわかりませんが、スコティッシュフォールドという猫が一目で気に入りました。
このスコティッシュフォールドは、誰が見ても、猫の姿形です。すこしも気取っていません。色だって濃いグレーで、もうすこし薄汚くすれば、こんな野良猫はゴロゴロいます。茨城で生まれて、まだ三か月の男の子と女の子。姉弟の可能性が高いです。
わたしはこうしてその店を訪れれば必ず三十分は居座って猫を眺め、わたしと同じように猫に見入っている他のお客たちの横顔をみつめます。
わたしは独り暮らしですから、慈愛に満ちた眼差しで、幸せそうに猫を眺めている人たちの顔を見て、初めて自分も幸福な気分に浸れます。ペットショップに集うお客さんたちが、わたしの疑似家族となります。
……今日もペットショップに行きましたが、何と見慣れたロシアンブルーとアメリカンショートヘアーのウインドウケースが空になっているではありませんか。
……きっと飼い主が決まったのでしょう。
まだスコティッシュフォールドはいますが、わたしは急に淋しく、そして虚しい気分になってしまいました。
猫にとっては、人に飼われることが幸せなのか、それともペットショップのウインドウケースの中にいるほうが幸せなのか。
それは誰にもわからないと思ったからです。