唐突に無花果落つる蛇這ひぬ
わたしの生家は借家で、狭い庭にはガーベラの鉢が置かれて、共同の井戸があり、周りはとにかく狭い道でした。と、その日、遊びにいこうと家を出たわたしの目の前に、向かいの家の木から無花果が黒塀越しに落ちてきました。そしてその落ちた無花果の先に蛇がいたのです。
その生で初めて見る蛇の姿は何とも不気味で、わたしはそれ以来巳年であるにもかかわらず蛇が苦手な動物となってしまいました。が、この路地裏を、近所のパン屋さんに嫁ぐ花嫁が、介添えのご婦人と共に挨拶まわりをしながら歩いていった、その絵に描いたような嫁入りの風景を、今でもはっきりと覚えています。
来し方や氷つひたる雪だるま
子供の頃のわたしはルガー拳銃を格好いいと思い、巨人と栃錦を応援し、漫画にも夢中になりました。しかしどうしてもうまく世の中に溶け込むことができません。とにかくすぐに対人関係で萎縮してしまうのです。
……我が家にテレビが置かれましたのは昭和三十五年、わたしが小学一年のときでした。母親が「テレビがきたよ」と、わざわざ学校まで知らせにきたのです。
色々な子供番組がありましたが、わたしは「七色仮面」に夢中になりました。わたしの人生の中で、一番幸せだった場面は、あの番組を観ていたときです。そしてそれは未だに同じこと。できることならもう一度「七色仮面」を観てみたい。それは痛切な思いです。
また大喜利番組の走りである「お笑いタッグマッチ」も忘れられない思い出です。記憶違いもあるかもしれませんが、春風亭柳昇師の司会で、柳家小せん師、三遊亭小円馬師などが出演されていたことを覚えています。この「お笑いタッグマッチ」で、わたしは寄席の世界を初めて知りました。衝撃的な番組でした。
定めにてふる里離る少年の心隠せるおどけのポーズ
その日帰宅しました父親が「決まった」と一言いいました。寡黙で、無表情な、普段の父親には似合わない興奮した声です。父親の静岡県清水市への転勤が決まったのです。でもわたしには寝耳に水の話ではなく(家庭内で以前からからそういう話は出ていたのでしょう)そうか、やはり決まったのかと、子供心にも思ったことを覚えています。
そしてそれからというもの、わたしは近所の人たちから「大変だねえ」と何度もいわれましたが、お別れの記念に母親の友人の家の庭で写真を撮ったときも、学校の教室でクラスメートたちに挨拶をしたときも、わたしは妙におどけたポーズをしてみせました。
わたしは生まれた土地を離れなければいけないことに困惑していたのです。
しかし自分の気持ちをどう表現してよいのかがわからない……。
で、おどけたポーズをしてみせた……。
それ以外にあのときの心理を説明できません。
昭和三十七年六月に、わたしは栃木県佐野市を去りました。
小学三年のときでした。