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コタン講談会
 例年よりも半月以上早く梅雨入りしたそうですが、梅雨時にもっともふさわしい怪談がシトシト読み進める「小夜衣草紙」です。
 深川の材木問屋浜田屋の若旦那源次郎に捨てられた吉原の花魁小夜衣の怨みつらみ……この講談はホラーのような脅しの恐怖ではなく、薄気味悪い怖さです。
 わたしは素噺で語り思わず背筋が凍るような薄気味悪さが怪談の真骨頂であろうと思っております。
 しかも「小夜衣草紙」は実に綺麗で上品な格調高い一席に仕上がっており、怪談を謳い文句にせずとも立派な世話講談として充分に通用します。
 また「高齢化社会」は講談ショートショートですが、わたしにしては珍しく近未来を描いた読み物となっており、バカバカしいけど面白いという評価をいただいております。
 終演後は懇親会をいたしましょう(別途料金)。ご来場を心よりお願い申し上げます。


「第15回コタン講談会」6/3(金)19:30
・ライブハウス四谷コタン(新宿区若葉1ー9金峰ビル101)
・2000円+ワンドリンクオーダー制
(四ッ谷駅四ッ谷見附交差点側を出て新宿通りを上智大学とは反対方向(新宿方向)に直進5分ほど歩くと左側にジョナサンあり左折初角を右折突き当たりを左折15m先左側ビル)
・「前講」神門久子・「高齢化社会」「怪談小夜衣草紙」神田愛山
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by aizan49222 | 2011-05-28 21:42 | 愛山メッセージ
徳川天一坊ライブ盤CDと神田愛山独演会
 ご好評をいただきました「神田愛山・旭堂南海二人会」で、わたしが二日にわたって演じました「徳川天一坊」を自主制作CDにすることになり、その音源チェックのために自分の高座を久しぶりに聴いてみましたところ「おれの講談もようやく形になってきたな」と感じました。
 本寸法の講談の二大要素である男性の骨格美とダンディズムの継承。
 聴いていて恥ずかしさを感じませんでした。
 このくらいやれれば師匠も講談として認めてくれるでしょう。
 入門以来37年かかりました。

 今度のらくごカフェでの独演会で販売いたします。ライブ盤CDは初めてです。

神田愛山自選講談集番外編(1)ライブ盤「長講徳川天一坊より越前登場から越前閉門」
神田愛山自選講談集番外編(2)ライブ盤「長講徳川天一坊より天一坊召し立てから網代問答」

(注・番外編(1)(2)はセットで2000円です)

 なお今度の独演会は前回(3月)自粛いたしました埋め合わせとして「清水次郎長伝」を二席分長講で申し上げます(柳家喬太郎さんあたりに落語で演じてもらいたいクダリです)。

「神田愛山独演会」5/27(金)19:00
・らくごカフェ(神保町駅A6出口・神保町交差点岩波ブックセンター隣・古書センタービル5F(ビル裏口のエレベーターよりお乗りください)千代田区神田神保町2ー3)
・2000円(ブログプリント持参割引有り)
・愛山演題「清水次郎長伝(一)次郎長の生い立ち」「(二)心中奈良屋」他新作一席…自主制作CD販売
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by aizan49222 | 2011-05-19 10:20 | 愛山メッセージ
愛山自主制作CD情報
神田愛山自選講談集(12)「め組の喧嘩」「山頭火」

神田愛山自選講談集番外編(1)ライブ盤「長講徳川天一坊より越前登場から越前閉門」
神田愛山自選講談集番外編(2)ライブ盤「長講徳川天一坊より天一坊召し立てから網代問答」

(注・番外編(1)(2)はセットで2000円です)

(通販はいたしません。愛山主催会のみにて販売)
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by aizan49222 | 2011-05-11 23:19 | 愛山自主制作CD情報
清水の頃・高校時代

  高校の学生服は身に重く鬱なる心閉ぢ込めてをり

 高校へは行きたくありませんでした。
 本当に行きたくなかった!
 とにかくわたしは芸人になりたかったのです。
 しかし具体的にどのジャンルに進むのかがみえてきません。
 一人話芸に憧れていることだけは間違いありませんが、漫談家か、落語家か、それとも講釈師か……。それがわかりません。
 悩みに悩みました。
 朝は一応学校に行くふりをしますが、すぐに戻ってきて、社宅の物置に隠れてしまいます。小学校のときと同じ登校拒否です。自分で自分の不決断に嫌気がさしました。
 わたしが登校しないものですから、担任教諭から父親の職場に連絡がいき、わたしの不登校はバレてしまいましたが、自分が成すべきことは学校に行くことではなく、芸の道に進むことなのだという思いが強迫観念となり、そのことを成していない自分に激しい劣等感を抱きました。日々、自分を責め立てます。
 東京ぼん太先生の歌を口ずさみ(わたしはこの先生の歌はすべて歌えます。しかし歌えるカラオケがありません……どこかにあるのかな?)学校の図書室で東京新聞の寄席情報欄を見るのが唯一の慰めで、まったく鬱々とした三年間でした。親友はできましたが、すこしも楽しい高校生活ではありませんでした。
 わたしは寄席の全盛期は昭和三十年代だと思っておりますが、その三十年代末から昭和四十年代前半にかけて入門した(つまりわたしが小学校から中学の頃) 先輩たちと楽屋を共にいたしますと、往時を振り返り、今でも忸怩たる思いに囚われてしまいます。
 しかしその時代に学校をサボってまでもテレビやラジオの演芸番組を観て、聴き続けてきたことが、今のわたしの貴重な芸の肥やしになっていると思っています。まさに不幸中の幸いです。
 そのうちにクレージーキャッツの映画も製作されなくなり、ぼん太先生のレギュラー番組もテレビから消えました。
 わたしは思いきってぼん太先生に弟子入り志願の手紙を書きましたが、丁重な断りの返事をいただき、後にわたしの師匠になる二代目神田山陽からは入門OKの返事をもらいましたが、わたしはどうしても決断することができませんでした。
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by aizan49222 | 2011-05-06 17:29 | 愛山自伝・俳句と短歌