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小林桂樹さん逝く
小林桂樹さんがお亡くなりになられました。
 昭和三十年代から四十年代前半にかけての大ヒット映画「社長シリーズ」は、森繁久弥さんが社長で、小林さんが秘書役で、二人がからむ絶妙の間と呼吸。
 それは演技指導などで生まれるものではなく、そのコンビネーションは他に類をみません。
また共演者も、毎回一風変わった人物を演じるフランキー堺さん、宴会部長の三木のり平さん、生真面目重役の加東大介さんという芸達者な方々に加えて、そうそうたる女優陣がワキをかため、まさに社長シリーズは最高級の大人の喜劇でした。
森繁さんの代表作が社長シリーズならば、小林さんの代表作も社長シリーズだと、わたしは思っています。

 ……もう七、八年前になりましょうか。仕事の失敗から激しく気分が落ち込み、どうにもならなくなってしまいましたときに、わたしは三日間一歩も外出せずに社長シリーズのビデオをBGMとして精神安定剤の代わりに流し続け、何とか平常心をとりもどして事なきを得たことがあります。

そのくらいですからわたしは今でも、たとえばデパートに入り、通路を曲がりますと、秘書の小林さんを従えた森繁社長とバッタリ出会いそうな錯覚にとらわれてしまいます(シリーズの中に、こういう設定の作品がありました)。
プロ好みの受け身の演技を、たっぷりと楽しませていただきました。
 小林さんは戦争中のデビューで「いきなり主役に抜擢されましたが、戦後はまた通行人から始めました」と承っております。
 本当に長い間お疲れさまでございました。合掌。
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by aizan49222 | 2010-09-26 17:11 | 愛山メッセージ
神田愛山独演会
 過日、テレビで、わたしの大好きな某地方の夏祭りの番組を見ておりましたが、その祭りでは、その土地にとどまらず、日本各地から集まってきたグループが、さまざまな趣向を凝らして踊ります
 が、その踊りが、あまりにも奇をてらいすぎていて、たとえば原宿の路上パフォーマンスを見るかのような、まったく違う踊りになっておりました。
 ですから昔からの正調を守り、ごく普通に登場した地元グループが、わたしの目にはいちばん新鮮に映りました。格好よかったです。
 しかし初めてこの祭りを見物し、これだけ続けざまに派手なアレンジだけの踊りを見せつけられてしまった人は、この踊りこそが正調であり、本当の正調踊りを見ても、とても単調で地味な踊りくらいにしか映らないでしょう。

 ことほどさように伝統を守り続けることは難しいのであります。
……神田愛山独演会が近づいてまいりました。「鼠小僧次郎吉伝(二)松山の身請け」の初演です。
すでに台本も完成、初回稽古も終えました。
 もちろんわたしなりのアレンジはほどこしてありますが、古典の骨格はくずさないように充分に配慮してあります。
 伝統をくずすアレンジならば、そんなアレンジなどは必要ないのです。
 どうぞごゆるりとお楽しみください(なお当日木戸にて自主制作CDの販売もいたします)。


「神田愛山独演会」9/24(金)19時
・らくごカフェ(神保町駅A6出口・神保町交差点岩波ブックセンター隣・古書センタービル5F
 (ビル裏口エレベーターからお乗りください)千代田区神田神保町2ー3)
・2千円(ブログプリント持参割引有り)
・愛山演題「鼠小僧次郎吉伝(二)松山の身請け」他新作一席


神田愛山自選講談集(9)「秀吉と曽呂利」講談私小説「影法師」
神田愛山自選講談集別巻(4)天保水滸伝(七)「三浦屋孫次郎の義侠」鼠小僧次郎吉伝(一)「小仏峠」

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by aizan49222 | 2010-09-20 16:24 | 愛山メッセージ
愛山自主制作CD新発売

神田愛山自選講談集(9)「秀吉と曽呂利」講談私小説「影法師」

神田愛山自選講談集別巻(4)天保水滸伝(七)「三浦屋孫次郎の義侠」鼠小僧次郎吉伝(一)「小仏峠」



バックナンバー情報

・(自主製作CD・自宅収録・各2千円・パソコンで記録したディスクのためプレイヤーの仕様によっては再生できない場合がございます)

・通販はいたしません。 愛山主催会のみにて販売


「神田愛山自選講談集」

(1)「(寛政力士伝)谷風の情相撲」「(講談私小説)酒の染み」

(2)「蜀山人」「気になる男」

(3)「(難波戦記)真田の入城」「あの時の男」

(4)「(赤穂義士銘々伝)大高源吾」「(講談私小説)真剣師」

(5)「(赤穂義士銘々伝)二度目の清書」「(露地野裏人作)温かい年賀状」

(6)「般若のお作」「(露地野ぼん子作)修学旅行」

(7)三家三勇士「三十三間堂通し矢」講談私小説「強制送還」

(8)「小夜衣草紙」「やかましい休日」



「神田愛山自選講談集別巻」

(別巻1)「天保水滸伝(一)繁蔵相撲の啖呵」「天保水滸伝(二)鹿島の棒祭り」

(別巻2)「天保水滸伝(三)ボロ忠売り出し」「(四)笹川の花会」

(別巻3)「天保水滸伝(五)「潮来の遊び」天保水滸伝(六)「平手造酒の最期」
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by aizan49222 | 2010-09-15 17:00 | 愛山自主制作CD情報
谷啓さん逝く
  追悼句


  昇りたるトロンボーンや蝉の鳴く


子供の頃、クレージーキャッツでは植木等さんに続いて、谷啓さんのことが好きになりました。
 園まりさんと共演したテレビドラマに夢中になり、野川由美子さんを相手役にした主演映画も観ています(このときの主題歌はいかにも谷さんらしいトボケた味わいでした)。
父親は「出てくるだけで面白い」と谷さんを評し、わたしはファンレターを書きました。
そして谷さんが無類の照れ屋であることを知ってからは、なお一層の親近感を抱きました。

また全員が一流のミュージシャンであるクレージーキャッツの音楽コントのほとんどは、谷さんのアイデアと聞いています。
 わたしに音楽センスがあったら、まず間違いなくコミックバンドを結成していたはずです。
 この思いは明らかに谷さんの影響です。

 そしてこれは何十年前か覚えていませんが、誰かのパーティーに出席したときに、ふとかたわらを見たら谷さんがおられました。
トロンボーン漫談のボン・サイト師と話をしておられましたが、谷さんは小柄な方で、目をパチパチさせながら笑っておられました。
わたしが憧れに憧れたクレージーキャッツのメンバーが、また一人お亡くなりになられました。
 まったくやるせない思いです。合掌。
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by aizan49222 | 2010-09-14 09:42 | 愛山メッセージ
ある情景
 このブログの「愛山自伝・俳句と短歌」に連載しているとおりに、わたしは栃木県佐野市の生まれですが、夏になりますと6年前から同じ両毛線沿線の桐生のお寺で開かれている怪談会に出演するようになり、その翌日に佐野の友人を訪れることが恒例になってしまいました。

 先日も11時前に電車を降りて、佐野駅裏にある城山公園の屋根付ベンチに座り、吉村昭の本を手にしました。相変わらずの酷暑です。
 と、わたしの視界の先に、叱られてぐずり、コンクリートの道に座りこんで泣きじゃくっている女の子を尻目に、そのままさっさとその場を離れてしまった母親がおりました。
 わたしは子供の躾のために、あえて泣かせて一人にさせているのだなと思い、頃合いをみて子供のところに戻ってくるだろうと、本を読み始めました。
 が、このときに山を下りてきて、その母親とすれ違った中年男性が、
「ちょっとあんた!こんなところに子供を置き去りにして、一体何を考えてるんだ!
このままじゃ子供が死んじゃうよ!このコンクリートは50度はあるんだよ!あんた子供を殺す気か!
あんたおかしいよ!」
 と母親を激しく叱責しました。
 わたしも、その母親も、肌が焼けただれるような強い直射日光と、コンクリートの温度をウッカリしていたのです。
 たしかにそのままにしていたら、その女の子は熱中症にやられてしまうことは確実で、まことに的を得た男性の指摘であります。わたしは赤面しました。

 しかし母親はその男性に礼をいうわけでもなく、不承不承に女の子を自転車に乗せて
「あんたが悪いからよ!」と、子供を責めつつ、公園を去りました。
 わたしはこの母娘関係は先々うまくいかないなと直感的に思いました。
それは何よりも「あんたこの子を殺す気か!」といった男性の声が、あの女の子の無意識に意識され、生涯母親を敵視すると想像されるからです。
女の子にとり、この日の出来事は、いつも母親に叱られている日常とは、明らかに違うはずです。
親子関係というのは、こうしたことからひびが入り、歪んでくるのかもしれません。
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by aizan49222 | 2010-09-08 17:42 | 愛山メッセージ
清水の頃・小学時代(六)


  夜の秋心の襞に呻く影



 どうしても忘れられない小学時代の記憶があります。

(佐野の頃 )
 小学二年になりましたわたしは休み時間を利用して一年のときの教室を校庭から窓越しにのぞきました。
 すると室内にいた一人の女の子が、わたしに気づき、近づいてきて、「なあに?」と咎めるような目を向けてきました。
 わたしはとっさに「ぼくは二年生だよ」と誇らしげに言い返しましたが、そんなことを自慢してはいけないという思いも同時にわいてきました。
 とても恥ずかしい記憶として残っています。

 また同じ二年のとき。体育の時間に縄跳びをやり、その回数を先生に報告しましたが、わたしは自分の跳んだ回数に不満で、「ぼくはもっと跳んだよ。ほら、あの場所で……。
君も覚えているよね」とありもしないことをでっち上げて、クラスメートに証人になることを強要しました。
 当然のごとくその男の子は怪訝な表情を浮かべていました……。


(清水の頃)
 転校生であるわたしに真っ先に友だちになってくれたクラスメートは、とても友だちの少ない男の子でした。「友だちの少ない子に声をかけられた。ぼくは友だちの少ない子に好かれるんだ」という思いは今日までも続いています。

……五年のときの東京オリンピックは、わたしが初めて経験した国家的イベントでした。
入場式の北出アナウンサーの実況に感動し、あらゆる種目を可能な限り白黒テレビで楽しみましたが、ふだんはとても厳しい担任の女の先生が、このオリンピックの期間だけは妙にやさしかったことを覚えています。
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by aizan49222 | 2010-09-03 16:12 | 愛山自伝・俳句と短歌