セミが焼け死ぬかと思われる酷暑の中、相変わらず市民プールに通いつめています。
と、べつに口をきいたわけではありませんが、自然に顔なじみができてきました。
いずれもわたしよりも年上の世代ですが、そのうちにその人たちが姿を見せないと心配になるようになってしまいました。
これは寄席の客席に、よく似ています。
まったくの赤の他人で、寄席の客席で話をしたことはないけれど、出かけると必ず会う人が、しばらく姿を見せないと心配になり、再び姿を見かけるようになるとホッとするという、これは一種の生存確認なのかもしれません(笑)。
……過日、そのプールからの帰りに交通事故を目撃しました。
横断歩道を自転車で渡ろうとした女子高生に車がぶつかりました。
明らかにドライバーの信号無視です。
わたしとは50メートルほどの距離がありましたが、幸いなことに横断歩道の反対側に、わたしと同世代と思われるジョギング中の男性が、この事故を目撃しており、この方が女子高生に近づきますと、信号を指差しながら、しきりに話しかけています(君に責任はないよと慰めているように、わたしには見えました。ぶつけられた後、女子高生はすぐに立ち上がっていました)。
ドライバー(主婦)も、すぐに車を寄せて止めて現場に歩き始めましたので、わたしも悪質な事故にはならないと判断して、アマチュア講釈師に稽古をつける時間が迫っておりましたので、その場を後にいたしました。
それにしても生死の境は紙一重です。
わたしはこの数年「明日自分が死ぬと仮定して、自分がやりたくて、しかもやれることを、何かやり残していないか」というところから発想して、さまざまな会の企画を立てていますが、ますますその思いを強くしました。
しかしいくら明日自分が死ぬと仮定しても、性格だけはどうにもなりません。直らない、改まらないから、性格というのかもしれませんし、変わらない性格を見続けているのが、わたしの生存確認なのかもしれません。
とても辛いことです。スーッ(深いタメ息)。